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死都日本 [本]

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東日本大震災で事故を起こした福島原発事故が未だ収束していないのにも関わらず、国は原発の再稼働を急ごうとしています。このような流れに警鐘を鳴らすような本を読みました。読んだのは石黒耀の「死都日本」2002年に刊行された災害小説。

わかりやすく言えば小松左京の「日本沈没」を火山噴火に置き換えたものだが、破局噴火は実際6300年前に喜界カルデラで発生し、南九州の縄文文化を破滅に追い込んだほどの災害なのだから、リアリティは断然こちらの方が上ではある。またこの小説は火山学者、団体からその知識の豊富さや噴火の描写を大絶賛されたことも価値が高い。

20XX年 霧島山の地下に埋もれていた加久藤カルデラが30万年の眠りから覚めようとしていた。霧島の火山観測所を訪れていた日向大学の助教授「黒木」と宮崎日報の記者「岩切」は運悪く破局噴火に遭遇することになり、迫りくる火砕流から愛車の旧型カリブを駆っての逃避行を始める。政府も火山災害対策委員会を招集し避難指示を出すが、近隣の市町村とは連絡は途絶え、巨大火砕流は都城市を焼き尽くし宮崎市に迫ろうとしていた。

黒木は講義で学生たちに対し「巨大火砕流の発生は防災工学的な対策は考えることさえ意味がない。21世紀になっても大地震や大噴火は神の領域だと」語る。南九州はほぼ全域が火砕流に襲われた場所であり、先日再稼働のニュースがあった川内原発がある場所も例外にもれず火砕流の地層が残っている。

この小説では川内原発は政府の指示で核燃料棒を抜き運転を止めさせているが、稼働中に火砕流に襲われた場合、日本はどうなるのだろう。この本を読んだ感想はともかく、原発が人類にコントロール出来ないシロモノであることは疑いようがない事実なのである。以下、文章の抜粋にとどめておきたい。

「ところが、数千年に一度となると崩壊規模が滅法大きく、その記憶は伝説と化す。まして数万年サイクルの崩壊規模は人智の及ぶところではない。神の領域である。災害規模も破局的となる。しかし、それはいつか必ず襲ってくるのである」

「過去の話と切り捨てるのは早計だ。このような激烈な噴火は、南九州は百七十万年間にわたって連綿と続いており、次の爆発は明日起こっても不思議ではない」

第一、姶良とか阿多とか、日本地図に載っていない巨大活火山が、この国に存在することを何人の政治家が知っていよう。しかも、それらが破局的噴火を起せば一日で日本社会が崩壊することなど、誰一人考えたことがなかったに違いない」

「成人日本人の脳には、1991年の雲仙普賢岳大火砕流の映像が焼き付けられている。ところが今、自分達の方へ押し寄せて来る火砕流は、見える範囲内だけでもあの大火砕流の千倍以上あった。」

「六千三百年前の鬼界火山の破局的噴火時には、50キロの荒海を乗り越えた火砕流が九州本島に上陸し、鹿児島県を焼き尽した」

「川内原発の炉内はまだ多量の放射能を帯びていたが・・(中略)・・使用済み核燃料は水蒸気爆発で破壊されればチェルノブイリの七倍の汚染をもたらす・・使用済み核燃料はプルトニウムのような毒性の強い放射能元素を含むため日本列島は今世紀いっぱい人が住めなくなる可能性が高かったのである」

「幸い今回の噴火では、火砕流に襲われた原子力発電所が偶然、廃炉になっていたので助かりましたが、もし稼働中なら日本人は住める国土を失うところでした。偶然が二度続く保証はありません。この災害国で原子炉や放射性廃棄物保管施設を維持するのがいかにきわどい賭けか、関係者の皆さんにも十分お分かりいただけたかと思います」


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