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深い河 [本]

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ここのところの世界不況の影響で、私の勤める会社も残業がなくなってしまった。こんな時何をする?冬で日の暮れも早くて寒いし、外に出るのもおっくうなので小説でも読むくらいしか考えがつかない。

そこで読んだのが遠藤周作の深い河(ディープ・リバー)だ。遠藤周作といえば、自身がクリスチャンであることから「沈黙」に代表される宗教的な小説が多いが、この小説もその中のひとつ。タイトルの深い河は、ずばりヒンズー教徒にとって聖なる川ガンジス川のこと。特に二つの支流がガンジスに合流するヴァーラーナスィーで死んだ物は誰でも輪廻から解脱できると信じられている。

妻を癌で亡くし、その最後に残した「私は必ず生まれ変わるから探して・・・」という言葉を頼りにインドを目指す磯辺。動物好きの童話作家、沼田、戦時下ビルマのインパール作戦を生き抜いた木口、今の生活に光を見出せずもがいている美津子、誰かにすがることより、自分から何かを探しに行こうとする本書の登場人物たちは、私から見ると頭が下がる。わたしは彼らのような羽根は持ち合わせてはいないような気がするのだ。

そして美津子が学生時代、色仕掛けで弄んだ大津は、神父になるためフランスに渡るが、西洋の一神論に対し東洋的な汎神論を口にするため受け入れてもらえず、ヴァーラーナスィーで行き倒れたアウトカーストをガンジスに運ぶ手伝いをしている。そんな大津に美津子は苛立ちさえ覚えるが、なぜか大津の存在を無視すればするほど、その存在が気にかかるようになる。

私は「沈黙」を読んだ時、棄教することになる主人公ロドリゴも、棄教させる側の井上奉行も、銀貨でロドリゴを幕府に売り渡したキチジローも、人としては普通の人間に過ぎないと感じたが、この小説で感じることは、一番神に近い場所にいるのは、神父を目指した大津よりも、以外に神にもっとも遠いと思われている美津子ではないのかなんて思うこともある。

三島由紀夫は「豊饒の海」第3巻「暁の寺」で仏教における輪廻の牙城「唯識論」に真っ向から立ち向かったが人物描写に妥協を許さない三島のほうが、私にはわかりやすく、難解といわれる唯識より、この小説に登場する人たちの心理のほうが何故か難しく思えた。

「沈黙」を読んで以来、現地、長崎に出かけたり、仏教の考えを見定めようと奈良へ行ったり、無駄な時間を費やしたようにも思うが、ここ五年くらいで、わかりかけたことも少しはあります。この小説を契機に、また長崎の大浦天主堂へ行き、椅子に腰掛けて目を閉じると何か大事なものが見えてくるのかも知れません。


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